松江城
岩見銀山
稲佐の浜
出雲大社
島根県立古代出雲歴史博物館
島根県立美術館
松江城
岩見銀山
稲佐の浜
出雲大社
島根県立古代出雲歴史博物館
島根県立美術館
山口県立萩美術館・浦上記念館
三輪窯
十三代三輪休雪さんのぐいのみをいただいて来ました。
松蔭神社
香月泰男美術館
金子みすゞ記念館
元乃隅神社
角島大橋
松永圭太
繭1 w15.8 d11.1 h12.2 cm 110,000円
繭碗1 w15.0 d12.0 h8.7 cm 132,000円
繭碗2 w13.0 d11.1 h11.0 cm 132,000円
繭碗3 w16.0 d11 h9 cm 132,000円
幹1 w23.8 d15.7 h27.2 cm 220,000円
幹2 w23.8 d15.7 h27.2 cm 385,000円
幹3 w29.4 d29.4 h12 cm 275,000円
水たまり1 w32 d53.5 h8.5 cm 440,000円
水たまり2 w40.5 d40.3 h7.7 cm 440,000円
枝幹 w40.5 d40.5 h14 cm 605,000円
蛻1 w43.4 d37.2 h37 cm 825,000円
蛻2 w40.2 d38.6 h36.5 cm 825,000円
繭2 w55.3 d22.5 h24.5 cm 825,000円
五味謙二
1.彩土器1 2024年
w23.4 d18.7 h28.6 154,000円
2.彩土器2 2024年
w27.9 d33.1 h31.4 198,000円
3.彩土器3 2023年
w24 d30 h38 242,000円
4.彩土器4 2024年
w26.0 d32.1 h38.0 253,000円
5. 彩土器5 2023年
w30.0 d25.9 h34.0 253,000円
6. 彩土器6 2023年
w27.0 d39.4 h41.0 330,000円
7.彩土器7 2023年
w49 d27.3 h79 605,000円
8.shi-tou「モモ」 2023年
w58.5 d59.0 h80.0 1,320,000円
9.UBU 2023年
w45 d39 h133 cm 1,320,000円
阿曽藍人展
Ⅼギャラリー
9/1まで
ぜひ見に行って下さい。
名古屋市民ギャラリー矢田
齋藤勇介 個展
FIRE BIRTH
8/25(日)まで
光彩
五人展
竹田歩里さんの作品を見て来ました。
小栗寿賀子展
庭文庫
弦(げん)1 2024年
w36.5 d21 h64.5 990,000円
弦(げん)2 2024年
w31 d20 h57.5 770,000円
瑞(みず)1 2024年
w32.5 d25 h26.5 605,000円
醒(せい)1 2023年
w52 d15.5 h59 935,000円
久遠(くおん) 2018年
w32 d24.5 h50.5 715,000円
瑞(みず)2 2024年
w46.5 d28 h23 770,000円
底に奥く金具で高さを変えれます。
醒(せい)2 2023年
w47 d16.5 h55 825,000円
景(けい) 2016年
w46.5 d36 h60.5 990,000円
鼓動(こどう) 2012年
w36.5 d31 h38.5 cm 770,000円
詳しい画像ご希望の場合は
メール info@gallerysuki.com
までご連絡下さい。
伊藤慶二の絵画作品
伊藤慶二は、日本陶磁協会賞金賞を受賞するなど陶芸家として高く評価され、若手の陶芸家たちからも慕われている。
しかし最初から陶芸を志したわけではなかった。
少年時代から絵を描くのが好きで、武蔵野美術学校に入学して油絵を学んだ。
しかし絵画を学んだものの卒業後も東京に住みながら絵の道を追い求めようとはしなかった。
それは、「美術学校卒業の時点では絵では生活していけるとは思えなかった」「都会の暮らしにもなじめなかった」という。
これは昭和30年代に入り戦後の混乱期が収まってきたとはいっても、社会に対してどこか信じきれない頼りなさを感じていたからではないだろうか。
10才になって敗戦を迎え、それまで軍国教育を受けていたわけであるから、大人が教える価値がひっくり返る様子を目の当たりにして、
子供ながらに社会を懐疑的に見るような覚めた思いがあったのかもしれない。
そうして郷里に戻ったところで、美術学校へ行く以前から絵の仲間として交流のあった同年の加藤孝造から誘いもあって、岐阜県陶磁器試験場デザイン室に勤務することになった。
ここでの伊藤の最初はデスクワーク中心であったが、それだけでは満足できず自ら土と対峙し、素材を知り、焼き物の技術をマスターしていった。
当時陶磁器デザインの先駆者として各地で指導を行っていた日根野作三が多治見にも定期的に訪れていて、その指導を受けるようになって大きな影響を受けたという。
日根野からは必ずペーパープランから始めることを学んだという。
それは、彫刻にしても絵にしてもデッサンを基礎とするように、焼き物による立体もデッサンをすることを基本とし、現在まで続けているのである。
日根野作三の影響からクラフトの器を作り日本デザイナーズクラフトマン協会の展覧会に出品するなどしたが、そうした団体展との関りは長くは続けていない。
それは地元の美濃陶芸協会でも発足に参加しても数年で脱会しているように基本的に独立独歩を貫いている。
それは声高に叫ぶでもないが、制作活動は常に主体が自分であって外の価値観に合わせることではないということだろう。
今回の個展は、絵画作品だけで構成される。
美術学校在学中の油彩から近作まで、画家としての回顧とも言えそうである。
展示の構想で重要な主題のひとつは、《HIROSHIMA》《Nagasaki》《チェルノブイリ》というモノクロームの作品群であろう。
これまでの焼き物による《面》や《足》、またそれらを含んだインスタレーションには、「祈り」があると言われてきた。
その祈りが平面作品では、人物の顔を描いた作品と核による災禍の記憶をとどめるシリーズに現れている。
結果、陶による作品と絵画とをやすやすと往還し、《面》などのテクスチュアが油彩で描かれたマチエールとどこか通じていることが感じられる。
伊藤自身は核の災禍を直接的に被ったわけではないけれど、これらには祈りだけではなく、人間存在を脅かすものに対する静かな憤りも込められているといってよい。
先にも述べたように、彼らの世代は軍国教育を受けた少年時代の日本の空気と敗戦後の混乱とがないまぜになって、その制作活動にどこか陰を落としているのではないだろうか。
それは核の災禍がなかったことのように扱われていくこの国のあり様に対しての異議申し立てであり、作家自身の不安な心情を落ち着かせているものかもしれない。
伊藤にとって絵画作品は、クラフトに始まり焼き物の器からやがてオブジェを手掛け、また、インスタレーションによる空間構成などと並行して、
あるいは往還しながら制作を続けてきたその出発点であり、人から何者かと決めつけられることへの言葉少なの抵抗と回答と彼の存在証明になっているともいえる。
さらに言えば、そうした外の価値観に迎合しない生き方が美濃の若手の作陶家たちから慕われる所以であろう。
豊田市美術館 館長 高橋秀治